アントワネットブルー
殺されそうで、殺されない夢をよく見ます。
もう何度死に損なった事でしょう。青。
夢の殆どが、私の家族間・親戚間での殺人。死んだ親族さえ蘇って夢の殺人事件に参加します。
殺しは連続して行われ、現場の目撃・証拠の発見は私だけ。私はその殺人犯を密かに、知らんぷりしながら庇おうと(または殺人が世に知られぬ様、隠蔽を行おうと)します。
しかし、犯人は私の存在を疎んで殺そうとする。若しくは、犯人ではないものが、私の犯人を庇い、証拠隠蔽をする様から、殺人犯だと勝手に断定し私を片付けようとする。
家族への愛か、所属の恥を雪ぐ為か、おそろしい形相で私に牙を剥く。
インターネットでは、殺されそうになる夢を「吉夢」とし、生まれ変わりのタイミングが来た報せであるとか、運気が上昇するとか。
恐ろしい表情で迫る、私を消そうとするものから免れようと、素早く・懸命に策を練り、駆け、隠れ、何度かの難を逃れ。
それでも遂に、殺されそうになっている正にその時、目覚めを迎える。
幼いころから幾度も幾度もこのような夢を見ています。私の夢には、ほぼ洩れることなく「死」が伴います。
殺されそうになる夢は勿論のこと、殺人が蔓延る街が舞台であったり、戦禍の中の日常生活や、異星の生き物との死闘。
誰かが死んだ知らせや噂、目の前で病床に伏す人、病に苦しみ助けを求める人々。
インターネッツ夢占い曰く、生まれ変わりを恐れている、変化に痛みを伴うことの暗示だとか。
「死の夢」は現状からの脱却・生まれ変わり・自己の成長、そのタイミングである。つまり私は何度も生まれ変わっている。
何度わたしを殺しても、私はどうしようもないままである。そういう、何処にも至れない存在である、と突きつけられて、もう夢くらい穏やかでありたいものです。ね。
あら、我が城・安アパート御殿にともに居を構える大学生と思しき人々がお燥ぎになっていらっしゃる。毎日遅く、草臥れたスーツ姿で現れる方の心中は如何かしら。
共同住宅各種で新型コロナの感染者が確認されたら、どうなんだろ。とか、ね。
あー、地下室付きの無茶苦茶でかい一軒家に好きなものかき集めて、蒐集物でいっぱいになった狭い部屋で、たっかいフカフカの革ソファに蹲りてぇ〜!
きょ〜☆
貧弱いんたーねっつ
毎日記事を書こう、毎週記事を書こう、せめて2週に一回は……と、いつの間にやら清明の候に至ってしまいました。LOVELESS。
(日々に)線をひく
2週間に1回くらい何かブログの記事にしたいな、と思い気づけば3月に至っておりました。
最近は様々なものが溶け出し、私という個が存在できない日々を送っています。
アホみたいに遠い勤務地、残業、無能なのに質問できる雰囲気もなく、バシバシスケジュールが遅れ体調は崩れ残業をし、何も得られずただ評価が下がる。休みの日はぐったり寝ているばかり。ストレスによる歯軋りで体全体が痛い。デスクワークも満員電車も身体がいたい。全てのバランスが崩れ、溶け出し、何をしてるのかさっぱりわかりません。
もう全部めちゃくちゃめんどくさい。弱い睡眠薬で眠り、毎日5時ごろに目が覚め、うつらうつらと仕事に行きたくない気持ちと戦い、2時間経ってようやく布団から起き上がり、20分後に家を出る。平日は薬でなんとか働けていない仕事をし、休みの日は薬を飲み損ね体調が緩やかに崩れ布団の中でほとんどを過ごす。何もしたくない、出かけたくない、社会意味わかんない。会社の飲み会参加が協調性の高さだとしたらこの世を滅ぼしてしまいたい。つまんない飲み会に実費で参加することが会社の評価に関わるとか、せめて面白いことくらいやってから参加を求めろよ。日本語ぐらい喋れよ。言葉の通じない上司への対応、本当にやめたい。諸々意味がわからない。
人との価値観の違いを、Instagramを見ていると感じます。
ホテルのスイーツビュッフェ、バカラのグラス、ティファニーの指輪、シャネルのリップ、華やかな結婚式、ブランド、丁寧な暮らし、何もわからず文化人を気取る生活、何かを努力する、美味しいご飯、予定を立てず車で遠出、私たちは頭のおかしい集団であると考え謎マウントを行う。犬、猫、夫、子供、記念日、ジム通い、仕事に奔走する私、キラキラ。全てが彼ら彼女らのアクセサリー。まじくだんねぇ。
犬猫は好きだけど、それをアクセサリー化しているのはちゃんちゃら可笑しい。
愛犬が死んだ時、死にそうになった時、めちゃめちゃ泣いて毎晩そばにいて、そんな私とこの人たちとの間にある「線」。
ブランドも好きだけど、私は自分で勝ち取りたい。本当に自分に似合うものか考えて手に取りたい。安易にそれらに手を伸ばせる人たちとの間にある「線」。
もう全部ヤダヤダヤダです。
そんな感じ〜
あ〜、これから人生続くってマジなのかな。全部もっと溶けてなくなればいいのに。
「最近(調子)はどうですか」
仕事でも、知人でも、医師やその他サービスを提供してくれる人、そのような人たちから解答しづらい質問がなされることが多いように感じる。
その度とても困るし、怖いなと思う。
「最近はどうですか?」と問われても、「人生はクソ最低でクソ死にたいのになんでか生きていてちゃんちゃらおかしいです、みんな死んで欲しいです。殺してください。」
そんなことしか思っていないけれど、こんなこと言っても無意味だなぁ、と当たり前の思考が働き、相手が何を聞きたいのかわからないので適当に濁す。
本当は、自分がそう考える原因・感情の起伏・それらが身体に与えている影響なんかを、相手が受け止めやすい/利用しやすい形で、手短に話したいなぁとは思う。
ただ、正解のかたちがわからない。
正解がないことを恐れることはおそらく人間の普通の反応なのではないのかなぁと思う。
しかし、年を経るにつれ経験、空気を読む、体力や財力なんかの私にはないものによって、その感情を多少なりとも処理できるようになっている人が多いように感じる。社会で"ふつう"に生きられる人は。
薬を飲んで生活して、副作用は苦しいし、メンタルは相変わらずボロボロだし、富も名誉も翼もないし、睡眠薬は寝られないし胸は苦しいし。
どんどん体力も気力もなくなり、さらに会社に私の選択の権利や意志を無視し、生活時間もゴリゴリ削られ、低賃金で働かされ、何もない私がさらに削れてゆく。
その日の会話を思い出しては、こう言えばよかったのでは、あれは言わない方が良かったのでは、せめて穏やかなトーンで喋っていればよかったのでは、相手は聞きたく無かったのでは、つまらなかったのでは、否定的な感情を持っただろう、などと自己採点や解き直しをする。
どんどん、すり減ってゆく。
正解が欲しくて仕方がない、死ぬことでも殺すことでもなんでもいい。ただ、何か一つ正解が欲しい。最近の私のありようの正解をください。
最近の私はどうなんですか!
きっと何者にもなれないお前たちに
箱に詰め込まれ、箱に向かい、箱と睨めっこ。
垂れ流すように日々を生きています。他人の安い消耗品として。
お元気ですよ。皆様こんばんは、いかがお過ごしでしょうか。
最近は、色々とやだな〜しか思っていません!*1
何を考えてもやだな〜と思いすぎて、やだな〜と思うのが嫌で、何かを考えたり感じるのが果てしなく面倒で、苦しくて、ぼーっと阿呆面して過ごし、ときどきひどく癇癪を起こしていたら、1月が終わりかけていました。びっくり〜!
寺山修司の音楽劇『レミング~世界の涯まで連れてって~』の中の「一番最後でもいいからさ 世界の涯まで連れてって」というフレーズ。
一度しか観ていないし、戯曲自体も読んでいないのに、何故かとても気に入っています。安っぽいですね、わたしって。
何も考えない・考えることのできない日々の中に、ふと潜り込んでくる世界の涯てへの憧れ。そこがどんな場所なのか、見当もつきませんし、思い描く・妄想をすることさえ出来ません。ただここではないどこかに至りたい。ただ逃げ出したい!
それだけのために、虚構の象徴の放った言葉を思い出します。安っぽいですね、わたしって。
全部全部全部めっちゃどうでもよくて、全部めっちゃ怖いし厭だし嫌いだし、もう堪らなく無理が募り過ぎるあまり、全部ぶっ壊してやりたいとか思っちゃって、思いすぎちゃって。でもできなくて。つまらない人生だなぁと思います。呆れちゃう
私は、一生どこにも至れないのだと知っています。*2
というかどこにも行きたくないよ。自分の脚で動くのもう疲れちゃったしさ。クタクタ、心も身体も棒っきれみたい。
生活は苦しいし、楽しくないし、馬鹿にされるし、もう町中の人に「お前はなんで生きてるんですか」って聞いて回りたい気分!何度もなんどもしつこく聞いちゃいたい!
小さいキャパの脳みそで、きゅるきゅるきゅるきゅると処理音を鳴らしながら生きる。関わりたくもない他人たちに「消耗品」「ジャンク」というレッテルを貼られ、貼られずともそうなのに、より一層ダメになってゆく。最近、薬を飲み忘れた時や切れた時の脱離症状が顕著になってきたように感じます、よくわかりませんが。
わたしは何者にもなれないし、何者にもなりたくない、何者でもありたくない、何者かになりたいという気持ちを持てない、何者かになりたいという気持ちを持つことを許されない、何者かわからない、何者でもない。存在しない、此処に今いない、そのことを誰も知らない。知らないでほしい!*3
本当に人と関わりたくないですし、存在なんかしたくないし、他人に存在して欲しくないのに、なんでブログなんか書いているんでしょう。安っぽいですね。わたしって。
お元気ですよ。皆様こんばんは、いかがお過ごしでしょうか。
凛として生きてほしいです。
母からの新年のメールの文末にありましたこの文面。
「凜として生きてほしいです。」
本当にお前は親なのか、と25歳を目前にして思いました。
世の25歳が如何程に凜としているか、サーチしました。
まずは。「25歳」でGoogle検索、ポチッとな!
タイトルだけで死ねますね。
次に「25歳 凜とする」でググるよん!
https://career-picks.com/business-yougo/rinntosita/
タイトルでこちらも死ねますが、あまりピンとこない適当な記事ですね。
(1行も読んでいない)
次は「凜とした 人生」でGoogle先生おにゃ〜しゃ〜ッす!
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………………
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…
ゴミみたいな記事しかなかったです。
ならば「凛」で検索するしかねぇ!
なんかわからんけどバカバカしくなってきました。
日本語以外全くできないけど、とりあえず日本語以外に逃げよう
「degnigied:威厳のある、高貴な、品位のある」
無理ゲーじゃん。
人口が世田谷区より少ない田舎で、
私が実家を出るまでに近隣で3件殺人事件あったのに!
無理じゃん!
ということで、今年は品位ある死*1を目指します。
よろピコ太郎〜〜〜〜
*1:アイディアクレメンス
あの邦題のダサいのどうにかならんの?
ティルダ・スウィントン主演の『We need to talk about kevin』
ティルダとエヅラのお顔があまりに素晴らしく、この映画の雰囲気にマッチしていてとても好きです。
この映画の原作は読んでいないのですが、Wikipedia曰く、ティルダ演じるエヴァが彼女の夫に向けて書いた手紙、書簡形式をとった小説だそうです。Wikipedia曰く。
エヴァは、石田衣良の「うつくしい子供」の主人公の妹と同じような役回り。
ただ、彼女は母という属性を付与されている点は主人公の妹とは違います。
社会が家庭に求めるものが多い。多すぎる。何でもかんでも家庭で教育課程で教育尾里が知れる親の顔が見てみたい。にも関わらず、その殆どを女性・もしくはそれに近しい振る舞いをする人物に責任を押し付ける。*1
ので、母親という役割は「神ではないのに神であることを求められる」存在だと私は思います。たかだか人間なのに、万能でなければならない。
実際、わたしは母には万能であってほしいと心のどこかで思っていました。
それは父が10年ほど所得がなかったから。自分と同じ性別で一番近くにいる「人生のモデルケース」だから。なんとなく、産んだ・創造したものだから。など。
社会が何でもかんでも「家庭!家庭!」と求めるほど、家庭は崩壊してゆく。
家庭環境と愛着と、その後の問題。機能不全家族であるより、そうではない方がいい。家庭は大事です。家庭で様々なものが育まれます。
ただ、家庭のありように正解はなく、簡単にうまく行くこともあれば努力しても崩壊することもある。
現代、家庭も重要だが、それ以外の「場所」が家庭と同等の立場として存在することが必要なのではないでしょうか。
だから私たちはケヴィンと話す必要があるし、《怪盗グルーの月泥棒》を観ることがめっちゃ必要だと思います。
け、け、ケヴィ〜ン!*2
可愛くなきゃ生きられない!
この世で、最も大事なのは「かわいさ」です。
より正しくは「かわいらしさ」です。
アイドルもお笑いも、部下も駅前で座り込んでいる人も。
すべてが、この世全部が、かわいらしさがないと死にます。
貧困もかわいさが左右します。人生が決まります。*1
だって、ホームレスのおじさん支援を呼びかけるより、足立区の子供の貧困より、
他のことに興味津々じゃん。この世。まず隣人から愛せば???*2
一生懸命頑張っているところ(若しくは、ポーズ)を見せる、ちょっと欠点がある雰囲気を出す、抜けたところがある、健気な感じ。などなどなどなど。
とにかく「弱さ」の片鱗。庇護欲を駆り立てるもの。自分が強者であることを担保するもの。それが評価のすべて。
可愛くなきゃ死ぬんです。
ただ同時に、かわいさは消費物でしかない。
消費者の意にそぐわないものは、かわいさを剥奪されます。
その人の・そのモノの本質は何も変わっていないのに。
本質自体が変わってしまったかの如く、平然と切り捨てる。
かわいさを消費者のニーズに合わせ続けられたとしても、所詮消費されるもの。
消費されるものでしかいられない、つまり消費する側には回れない。
結局死ぬ。人生は死ぬ。死ぬことにしか向かわない。
でも死ぬ、って自発的にじゃなくて、他者に殺されるんだよね。
可愛くなきゃ、可愛げがなきゃ、平然と殺すことを許すんだよね。
自分が強者である為に、他者をバシバシ切る。
表層的には、そうではないものを武装していたとしても、自分が最強である為に殺す。
もうこの世から「Kawaii」という言葉を・概念を屠るべきだと思います。
私は真実の、正義の、劔でそれらを打ち破ります。
嘘です、アイドルとか二次元の女の子とかキャラクターとか好きだし。
アイドルが性格悪いのを隠してそうだといいな、とか想像しちゃうし。
…あれっ 笑
諸刃〜*3
コッペリアの柩
ALI PROJECTの歌詞の中でも、結構わかりやすい方の歌詞だと思います。
私の、まさに中二、厨二時代を支えた素敵な存在です、アリカ様。
数日前にサークルクラッシュ同好会アドベントカレンダー14日目の記事を読み、いろいろなことを思い出しました。その備忘録的に、今日はこの記事を書いています。
たくさんのことは言いませんが、私はずっと神様が欲しかった。多分。
高校一年の初夏のころ、3週間ほど付き合っていた*1同級生に「神様になってほしい」と伝えたことがあります。
神様といっても、何か信仰があったり、具体的な神様像がある訳ではないです。
なんとなく、全知全能。
なんとなく、行いや運命を決めてくれる。
そんな神サマ。
もうとにかく何かを信じ、それがあれば救われ、正しくあることができる。その証拠となる存在が欲しかった。
つまり、一方的に救われ(た気分になり)たかっただけなので、「救い-救われる」関係を求めていたわけではなかった。そうだったと思います。確実に。
なんでもいいから、簡単な1つで救われたい。
小さい頃からそう願っていたのでしょう。
12歳の頃、小学校の懇談で担任の先生が母に伝えた「おたくのお子さんは、なんでも魔法のように、簡単に解決できる事を望んでいるように見えます。」
生活の苦しみ、親から逃れたいがために「なぜ私は鳥に生まれることを選択できなかったのか」と思っていた5歳の頃。
だから「神サマが欲しい。」
では、今の私はどうなのか。
神様が私を救ってくれないことなど、とうに知っています。
私がただのヒトでしかないことも知っています。
それでも相変わらず「救い-救われる」関係(=人間同士の関係)ではなく、自分だけが救われることを、神サマを求めているのか。もしくは神になりたがっているのか。*2
はたまた、「「救い-救われる」関係はそう簡単には成立しない*3」ということを知りながらも諦観できないで過ごしているのか。
多分、柩の中に、私はいます。
幸福論
薬がないと、幸せを感じられない。
コンサータは大体8時間ほど効き目があるそうですが、それはちょうど私の仕事が終わるような時間。一気に疲れが押し寄せて、毎日死にたいです。
転職すれば、資格を取れば、スキルアップをすれば、副業をすれば
などなどなどなどなどなどなどなどなど
恋人といても、好きなものを買っても、美味しいものを食べても、好きな展示を観ても、好きな好きな好きな好きだった好きだったような、総てに触れる際「嬉しいと感じなければ」と感じ続けています。幸福って何ですか。
憲法第13条には「【個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉】すべて国民*1は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」とあります。
私の幸福追求の権利は、どこにあるのでしょうか。
私の生存は公共の福祉に反するのでしょうか。
何が私の幸福なのでしょうか。
正解じゃないと怖いのに、何一つ正解になれません。
何を追求すれば良いのでしょうか。
ずっと蔑まれ、才能もなく、何もない、ただの肉の塊が。
何で産まない選択をしてくれなかったんだろ、
*1:悲しい