あの邦題のダサいのどうにかならんの?
ティルダ・スウィントン主演の『We need to talk about kevin』
ティルダとエヅラのお顔があまりに素晴らしく、この映画の雰囲気にマッチしていてとても好きです。
この映画の原作は読んでいないのですが、Wikipedia曰く、ティルダ演じるエヴァが彼女の夫に向けて書いた手紙、書簡形式をとった小説だそうです。Wikipedia曰く。
エヴァは、石田衣良の「うつくしい子供」の主人公の妹と同じような役回り。
ただ、彼女は母という属性を付与されている点は主人公の妹とは違います。
社会が家庭に求めるものが多い。多すぎる。何でもかんでも家庭で教育課程で教育尾里が知れる親の顔が見てみたい。にも関わらず、その殆どを女性・もしくはそれに近しい振る舞いをする人物に責任を押し付ける。*1
ので、母親という役割は「神ではないのに神であることを求められる」存在だと私は思います。たかだか人間なのに、万能でなければならない。
実際、わたしは母には万能であってほしいと心のどこかで思っていました。
それは父が10年ほど所得がなかったから。自分と同じ性別で一番近くにいる「人生のモデルケース」だから。なんとなく、産んだ・創造したものだから。など。
社会が何でもかんでも「家庭!家庭!」と求めるほど、家庭は崩壊してゆく。
家庭環境と愛着と、その後の問題。機能不全家族であるより、そうではない方がいい。家庭は大事です。家庭で様々なものが育まれます。
ただ、家庭のありように正解はなく、簡単にうまく行くこともあれば努力しても崩壊することもある。
現代、家庭も重要だが、それ以外の「場所」が家庭と同等の立場として存在することが必要なのではないでしょうか。
だから私たちはケヴィンと話す必要があるし、《怪盗グルーの月泥棒》を観ることがめっちゃ必要だと思います。
け、け、ケヴィ〜ン!*2