進化しそうになったらBボタン

正解じゃないと怖い

コッペリアの柩

 ALI PROJECTの歌詞の中でも、結構わかりやすい方の歌詞だと思います。 

私の、まさに中二、厨二時代を支えた素敵な存在です、アリカ様。

 

holysen.hatenablog.com

  数日前にサークルクラッシュ同好会アドベントカレンダー14日目の記事を読み、いろいろなことを思い出しました。その備忘録的に、今日はこの記事を書いています。

 

たくさんのことは言いませんが、私はずっと神様が欲しかった。多分。

 

 高校一年の初夏のころ、3週間ほど付き合っていた*1同級生に「神様になってほしい」と伝えたことがあります。

 

 神様といっても、何か信仰があったり、具体的な神様像がある訳ではないです。

なんとなく、全知全能。

なんとなく、行いや運命を決めてくれる。

そんな神サマ。

 

 もうとにかく何かを信じ、それがあれば救われ、正しくあることができる。その証拠となる存在が欲しかった。

 つまり、一方的に救われ(た気分になり)たかっただけなので、「救い-救われる」関係を求めていたわけではなかった。そうだったと思います。確実に。

 

なんでもいいから、簡単な1つで救われたい。

 小さい頃からそう願っていたのでしょう。 

 

12歳の頃、小学校の懇談で担任の先生が母に伝えた「おたくのお子さんは、なんでも魔法のように、簡単に解決できる事を望んでいるように見えます。」 

 生活の苦しみ、親から逃れたいがために「なぜ私は鳥に生まれることを選択できなかったのか」と思っていた5歳の頃。

 

だから「神サマが欲しい。」

 

  では、今の私はどうなのか。

神様が私を救ってくれないことなど、とうに知っています。

私がただのヒトでしかないことも知っています。

 

 それでも相変わらず「救い-救われる」関係(=人間同士の関係)ではなく、自分だけが救われることを、神サマを求めているのか。もしくは神になりたがっているのか。*2

 はたまた、「「救い-救われる」関係はそう簡単には成立しない*3」ということを知りながらも諦観できないで過ごしているのか。

 

 

多分、柩の中に、私はいます。

*1:果たして付き合っていたと言っていいのか、その方に迷惑なのではないだろうか、迷惑だと思います。すみません

*2:メサコン

*3:holysen「ぼくの「二次元」時代ーー中二病回顧(懐古)録 その壱」落ち着けMONOLOG