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正解じゃないと怖い

生きるための呪い

訳1年のニートを経て、なんとか生きています。

常に自分の人生を壊すことに注力してきた私は、自分の足で立つことをすっかり忘れていました。

誰かに甘えきって、自分の足を地につけ重力に耐えながら生きることを放棄することを「共生」とか綺麗っぽい言葉で騙して生きてきたことを痛感しています。未だに自分の人生を自分の足で立って生きていられないでヘロヘロごまかしごまかしやり過ごしています。

ヘロヘロごまかして、騙し騙し半分死んだ身体を引きずって日々を垂れ流すこと、これがもう無限に続くんじゃないかということ、そういう全部が怖いです。

私は、人様に胸を張って生きられないようなことがいくつかあります。
つらい経験とか、トラウマとか言うこともできるかもしれないです。
けれど、そういう風に言ってしまう自分もまた恐ろしいです。
ただの生きる根性のないことを、可哀想な自分だと言い替えすり替え置き換え何が本当のことかわからなくなるほど誤魔化す根性なしを正当化しているのがマジで怖いです。

根性論とかそういうのは嫌いだし、大きな集団の作り出した正しさやそれへの反骨に溺れるのも嫌いです。いっぱい嫌いです。というか怖い。そんなに溺れて生きられるほど立派な人生じゃない。マジで周りの人間怖いな。でもみんなすごいな、ちゃんと方針持ってるんだもんな。ほんと立派で怖い。

私は、自分の中で通したい「スジ」はちゃんと通して生きていくくらいの根性は持ちなさい、と常々言い聞かせています。これは意地です。そしてワガママです。
他人を冒涜し、自分さえ冒涜し、何も大切にしない、何にでもそこそこヘラヘラいい顔して、結局体裁も何も貫けないでいる、そういう自分を赦さない、ワガママです。お子ちゃまで生きるならその分、私は私と共に歩んでいかねばなりません。
幸せを受け入れる能力が低い、逃げることで先回りして不幸を回避したつもりで自分を呪う。
立派じゃないなどと、自分が本当はつらくて頑張っていっぱい泣いて、それを抱きしめてあげることはできないと知りながら固執して、亡霊のようにずるずる存在する。

そういう生きるための呪いに耐える、それに付き合ってやる根性、自分(だけを)を呪うというスジを通す。

こういうのって良くない、本当に迷惑な生きかただなぁとモブサイコ100のアニメを観ながら思いました。
ちゃんと自分の荷物を人に預ける、預かってもらったことを大切にするとか、ちょっとくらい自分を守るために真っ当な(症状としてのそれではなく、意識して行う)否定を他人にするとかそんなことをちゃんとできるようにならなきゃなと27歳を目前に、金なし職なし恋人なしのアル中は泣きながら決断できずとりあえず忘れないようにしなきゃとぐちゃぐちゃ書き残してみます。

 

結局どうすんのが正しいんだ。私はひとりは怖いよ。