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正解じゃないと怖い

生きるための呪い

訳1年のニートを経て、なんとか生きています。

常に自分の人生を壊すことに注力してきた私は、自分の足で立つことをすっかり忘れていました。

誰かに甘えきって、自分の足を地につけ重力に耐えながら生きることを放棄することを「共生」とか綺麗っぽい言葉で騙して生きてきたことを痛感しています。未だに自分の人生を自分の足で立って生きていられないでヘロヘロごまかしごまかしやり過ごしています。

ヘロヘロごまかして、騙し騙し半分死んだ身体を引きずって日々を垂れ流すこと、これがもう無限に続くんじゃないかということ、そういう全部が怖いです。

私は、人様に胸を張って生きられないようなことがいくつかあります。
つらい経験とか、トラウマとか言うこともできるかもしれないです。
けれど、そういう風に言ってしまう自分もまた恐ろしいです。
ただの生きる根性のないことを、可哀想な自分だと言い替えすり替え置き換え何が本当のことかわからなくなるほど誤魔化す根性なしを正当化しているのがマジで怖いです。

根性論とかそういうのは嫌いだし、大きな集団の作り出した正しさやそれへの反骨に溺れるのも嫌いです。いっぱい嫌いです。というか怖い。そんなに溺れて生きられるほど立派な人生じゃない。マジで周りの人間怖いな。でもみんなすごいな、ちゃんと方針持ってるんだもんな。ほんと立派で怖い。

私は、自分の中で通したい「スジ」はちゃんと通して生きていくくらいの根性は持ちなさい、と常々言い聞かせています。これは意地です。そしてワガママです。
他人を冒涜し、自分さえ冒涜し、何も大切にしない、何にでもそこそこヘラヘラいい顔して、結局体裁も何も貫けないでいる、そういう自分を赦さない、ワガママです。お子ちゃまで生きるならその分、私は私と共に歩んでいかねばなりません。
幸せを受け入れる能力が低い、逃げることで先回りして不幸を回避したつもりで自分を呪う。
立派じゃないなどと、自分が本当はつらくて頑張っていっぱい泣いて、それを抱きしめてあげることはできないと知りながら固執して、亡霊のようにずるずる存在する。

そういう生きるための呪いに耐える、それに付き合ってやる根性、自分(だけを)を呪うというスジを通す。

こういうのって良くない、本当に迷惑な生きかただなぁとモブサイコ100のアニメを観ながら思いました。
ちゃんと自分の荷物を人に預ける、預かってもらったことを大切にするとか、ちょっとくらい自分を守るために真っ当な(症状としてのそれではなく、意識して行う)否定を他人にするとかそんなことをちゃんとできるようにならなきゃなと27歳を目前に、金なし職なし恋人なしのアル中は泣きながら決断できずとりあえず忘れないようにしなきゃとぐちゃぐちゃ書き残してみます。

 

結局どうすんのが正しいんだ。私はひとりは怖いよ。

26歳のカルテ

気がつけば、4半世紀を超えて生きてしまっていました!怖い!

私は物心ついた頃から、あまり自分がこれから先を生きる想像ができませんでした。*1

将来の夢、中学生くらいで多分書くことを強要される80歳を死の目安とした将来の線表、就活や転職の際・同世代の友人との会話で、今後の人生をどういった方向に進めたいか、人生の目標は何かなど、ほぼさっぱり想像できません。

これは、私に「自分を自分で生きている感覚」を他の人より認識できていないからなのか*2、義務教育前からの「私はなぜ人間を選択して生まれたのか?」という問いに仮説さえ立てられずにいることが問題なのか、と無意味なことをぐるぐる感じています。

私は高いところが苦手です。が、「鳥に生まれたかったなぁ」と問いが発生した当初は考えていました。子供っぽい・回答のないであろう問いを生むほどに「自分という存在が人間であること」に違和感を感じていたのでしょう。今も考えます。想像より高く飛ぶことはできないのに。

私の人生の想像は、25歳で止まっています。ので現在は、アディショナルタイムなのです。
以下に「なぜ25歳なのか」という、超個人の偏見とトンデモ妄想のまとまりのない言い訳を記します。

義務教育から高等教育までなんとなく、周りの人に合わせて、最小の労力でのMAX値のリターンを得られるよう流されてきました。

その流れの中で、色々な物事に関心を持たざるを得ない教育課程にさらされたためか、
この世には知らないことが沢山あり、でも全てを知ることは不可のであるもの、もう手を伸ばすことはできないかと、この世の私の未知の部分を知りたい・考えてみたいなどと、
薄らぼんやり空想し*3、それっぽい大学院に進んでみようかなと少し想像を羽ばたかせてみました。

しかし、その貧弱な想像では、脆弱な身体に簡単に負けやがりました。
ちょっとタイミングが合わなかったことを言い訳に、諸々のお怠けを許し、
どんぶらこと周りに流され就活に精を出し、最小の労力でMAXのリターンを得られそうな確約を見つけて、適当に卒業しました。*4

結局、狡いことした結果は流れ着くところに流れ着くものです。
少しの間、面白いこともありましたが、そこも中途半端にやり過ごしていたことを当時から悔いつつ、頑張らない選択をしていたようにしか思えません。

あれ、大学院で少しでも多く知らないことを知ってこねこね考えるぞ〜と思っていたのに。
あれ、25歳まで大学院で何かしらに勤しむ想定だったのに。
あれ、あれ、あれ。大学院行ったとして、その後どうするつもりだったんだろう。あれ?

大学を卒業し、社会の波にうわ〜っと流されつつ、先のこと、おそらく死んでしまわないことから目を背けていましたが、それでもあれあれ混乱したまま今日この日。
想像のルートから外れたのは振り返っても悔いるのみなので、お気楽に見逃すこととしても、現在から墓まで続く、アディショナルタイムの扱いという不毛な不安が私を放しません。

サッカーであれば、勝っている・引き分けている・負けているのざっくり3パターンでどうすべきか策略を立てることがある程度可能と考えていますが、
私は適当なところに流れついて、日銭を稼ぎ、使途不明金を払い、いろんな書類を発行して、ざらざら薬を飲み、食べることに飽き、なんの基準もなくソファに腰掛けています。

出身大学の優劣、仕事の業績と年収、ルックス、性格とかいう謎のものなど、外界からいろんな査定を受けることはあるので外部基準はありますが、それは私に内在化されていません。
評価が高い天上人を見上げるとキリがないので、ひもじさを嘆き暮らさず社会に所属している今、あまり大きな問題にはしないことにしています。まさに先が想像できていない。

安いソファはすぐダメになります。けれど、明日ソファに座る私を想像することができないので、今なんとかソファと呼べるものに沈み込み、脳みそもすっかり諦めモードです。

統計通りの60年ほどの生命を、安定した不安定を保てるのでしょうか?
なげぇ〜〜〜

*1:それなのに、社会ったらそれを求めてくるので無事に沈み込んだ日々を送っております。

*2:実際アンケートとかを取ったわけではないのでわかりません。もし読んでいるあなたという存在があれば、あなたはどう感じていますか?

*3:これは本音でもあり、建前でもあります。苦労しなかったツケの領収書の精算が行いたいというのが最大の理由です。

*4:以前どこかで触れた可能性が高いですが、卒論の査読の際、副査を担当してくださった方から「あなたにはライバルがいた方が良かったのかも知れませんね」と、どんぶらこ怠けを指摘されました。

汗ばんだプリーツ

高校3年生の夏。

スカートを長くしようか短くしようか、どの制汗剤を使おうか。

くだらない悩みを鞄に詰め、汗ばんだ身体で、紺色のプリーツをはためかせて、会いたい人がいた。

 

「大事な時期」にガッコのお勉強をしなかった。

高校進学まではど田舎では良いとされる学歴を得ることができる程度のアタマはあった。

 

この先生きることなんか考えたくないと思っている時、逆らえない魅力に出会った。

真夏の、とても蒸す日の畳の部屋。

逃れ難い魅力、醜悪なほどの憧れが狭い部屋の中に満ちていた。

 

紺色のスカートは無意味な装備で、子供のあそびだった。そのあそびに、どんどん依存してゆく。簡単なことだ。

それは私が子供で背伸びがしたくて、境界を失くしたがる素養を持っていたから始まったことだ。寂しかった。

 

相手も病んでいた。必然的に、お互いの境目をなくそうとする力が働いた。

とても自然に、心地よく、溶け出していった。

相手が開示する自己が嬉しかった。私があなたになっていく、それがとても好きだった。

とても好きだった。

 

けれど、双方とも、少なくとも正常な判断のつく状態ではない。

あんまり暑い夏だから、事故など簡単に起こる。わかっていた。すべて予定調和だ。

けれど、紺色の私は好きを止められず、その人になりたかった。

けれど簡単に切り離されてしまった。全部仕方がないし、答え合わせをすれば正解だ。

 

だが、当時の私にとってそのことは、死ぬことと大差がなかった。

赤く落ち込む。紺色が怒りに染まり、プリーツははためかなくなる。

ただ、会いたかった。あなたになりたかった。

救って欲しかった、けれどそれは不可能だと18歳の私は知っていた。

彼も多分助けを求めていた側だから、どうしようもない泥沼でお互いを殺し合う結末が見えていた。けれど、それでもよかった、それがよかった。

 

私といないことは、私と生きないことは、とても正しい。あんまりにも正しいからちょっと悔しい。本当に幸せになって欲しいと思う。

 

ただ一緒に死んで欲しかった。約10年越しの、もう存在しないラブレター。

空洞です

ヘルプマークをつける様になって見えることが増えた。

・優先席を譲ってくれるのは高齢な女性である傾向が多い

・次の駅で降りるおじさんも譲ってくれる

・年齢を書いた札を貼ってるわけでもないのにヘルプマークつけている私に切れるおじさんがいる

・ヘルプマークをつけている人は結構たくさんいる

 

私は、予兆なしに倒れる可能性がある為ヘルプマークをつけている。

通勤のため電車に乗る時間が長い。座れることは膝があまり良くない私にはありがたい。

けれどもっとしんどそうな人を見掛ければ席を譲る。

しかし多くは、過去の私も含め「優先席」でも誰かの声に耳を傾けない。

仕方がない。余力のない社会をみんなで作っているのだから。

心の大きな穴を塞ぐために他者から奪う。稚拙なことをする。仕方がない。

 

優先席の前に立つのは席を譲って欲しいからではない。このピクトグラムは紋所ではない。

可能性の示唆だ。それが起こったとき、そこで目を瞑って自分の穴を埋めている人は覚悟があるのだろうか。

フリーフォール痙攣のコンボを決めた私を無視して平然と生きていくのか。

きっと、いや、ほとんど確実にそんなこと想定していない。

自分は「ちゃんと生きている」から。

 

最近の生活はぐちゃぐちゃだ。ランナーズハイで乗り切った仕事と虚無と疲労と、

楽しそうに生きている人が羨ましい。楽しいと感じたい。

もっと鬱屈としていた頃よりは単発でも笑うことがちゃんとできる。

それがそろそろ損なわれそうだ。休まなければならない。飛び降りたい。

 

ちゃんとしたレールに戻れないことが怖い。

 

恋人は「理解」してくれていると思うし、向き合おうとしてくれている、

十二分にすり減らしながら私と暮らしてくれている。

しかし足りない。大人になってそこそこ自分を割り切って、そんなの嫌無理死んでしまいたい。

苦しい、白馬の王子様が全部魔法で解決してくれないのはわかっていても

この空洞はどうにもならないし、どうしたらいいかもうずっとわからない。

全部ちょっとずつずれてゆく。結果として崩れる。今はその渚だ。

 

誰かに救われたいと弱いことを思う、けれどせめて寄り添ってもらえている実感が欲しい。

子供の頃からの救われなかった私、救って欲しかった私にちゃんとケリをつけたい。

助けて欲しかった、けどもう無理で私の明日は来てしまうとちゃんとわかりたい。

 

ここまで書いてほとんど何もわからない。

ただ寂しい。

超ひもQ

食べたことのないお菓子を思うお昼休み。

 

底辺ドカタは電気の消えたバカみたいに広いフロアの片隅の、ちいさな席で

朝ご飯の残りのパン半分をむしゃむしゃと食べます。

みすぼらしい後ろ姿で、私が自ら起こした問題でもないことをえっちらおっちらと調査し、

どんどんドツボにハマって、脳が擦れる様な痛みを抱えた、くたびれた姿。

 

私は、するりとほどける様な、ほろっとほぐれるような文章が好きです。

仕事の勉強用テキストや卒論の時なんかに読んだ専門書や論文などは、カチッと構成され、まとめられ、遊びはあるもの私の好む文章はあまり多くないです。

それでも、ちょっとした言葉選びやその繋ぎ方でシルクを撫でる様な感触の文章に、時たま出会えます。

 

そういった文章に最初に出会ったのはモームモームは翻訳しか読んだことがありません。

が、その文章は誰が訳そうとあまりに自然な、滑らかに滑り解け融ける、

柔らかいというより、身体に馴染むじつに着心地の良い文章だと感じます。

 

物事の多くは、なめらかであることが大切だと今のわたしは考えています。

なめらかに、自然に循環してゆくことこそが調和と安寧への鍵と考えています。

 

そうあるためには、かっちりとした構成も大切ですが、全体の流れをぼんやりと眺め

流れるままに、そのままに、そこに在ることが大切だと思います。

 

しかし、人々は、社会はそれを待てません。

時のゆるやかな流れに、人々のうねりに、ピンを打ち蝶の標本をたくさん作りたがる。

標本をたくさん作ることが求められ・評価される社会では、ピンを刺し続けなければなりません。

大きなうねりに、抗えないものにピンを突き刺し、スルリと解け伸びるはずの紐に

障害を作りひっかけ、澱ませ、わざわざ複雑にする。

 

もっと流れてゆけばよい、止まることが流れのうちならそれもまたよい。

しかし、人はわざとピンを刺す。

不思議〜!

 

 

ひぐらしのなく頃

眠れずに、気がつくともう8月ですね。

無能の島流し晒しあげにちょっと辛いなと感じてみたり、ちょっと倒れて入院してみたり、ちょっと日本語の不便さについて考えたりしていました。日本語以外碌にできませんが。

 

眠れないままボォっと、時を待っていると、28時ごろでしょうか、あたりがすこぉし明るくなろうとし始め、ひぐらしがゆったりカナカナと鳴き始めます。

 

睡眠薬を追加するか、このまま程よく眠れる範囲で眠るか。

眠ろうとすると、すごく身体が痛みます。

眠ろうと身体が、特に肩や目の周りが強張り酷く凝ります。その痛みを緩和するために姿勢を変えると、今度は私の身体が、骨が、内臓が、重さに耐えかねて痛みを感じます。

睡眠薬がちゃんと効いて眠れた時も、目覚めるとすごく肩が凝っています。

眠ることは痛いことです。

 

しかし、眠らないことにも痛みを伴います。

まず、眠れないまま・短い睡眠を得てから起きるべき時間を迎えアラームが鳴る時。

身体の凝りは当然として、頭がすり切れるように痛いです。

脳みそにヤスリがけされているような感じの痛み。

 

お休みの日であれば、これはいけない、とベッドでだらだらし、

短い眠りと覚醒を繰り返し、1日が終わりを見据え始めた頃、やっとこさ活動を始める羽目になったりし、癇癪を起こすなどします。

お仕事にいかねばならない日には、

どうしようもなく辛ければ遅刻の連絡をし、眠れずとも身体をベットに預け、

短い猶予の時を過ごします。

どうしようもなく辛くない時は、起き出して化粧して、出かけます。

身体がどうなっているかぼんやりしか認知できないのか、色々なものにぶつかります。

立っていることが、軋む身体に応えます。

会話も、ぜんぜんできなくて、いやこれは普段からなのですが、

本当にボンクラでどうしようもない存在だなぁと自分を上から見下ろしたりします。

 

そういった際、私のくだらない心は

「何をしているんだろう」とすぅっと暗いところに引き込まれてゆく、そんな感覚になります。

 

眠るのも、眠れないのもひどく痛みます。

生きるとはこういうことなのでしょうか。

蜥蜴のしっぽはどこへ行った

はてなブログ今週のお題「遠くへ行きたい」

 

「遠くへいけるのは、天才だけだ。」とある男は言った。

当然、私は天才ではない。凡人でもない。それ以下だ。

なので、「代替え可能人間」であることをウリにして私はおまんまを食っている。

 

 この世界に、少なくとも日本には「こどもブロイラー*1」の様にわかりやすい名を持った"親切な"施設はない。

この世界を覆う、大きな力の構成成分には、愛情の入り込む隙間は用意されない。

 この事は、多くのご家庭のハンバーグがナツメグがなくとも美味しく作られている事実と大差ない。

 

 代替可能になれる事は「家族ごっごの枠」として存在する私にとってイイコトだ。

偶然に過ぎない、人間関係に妙なまでに縛られない。監視されない。期待もノルマもない。

必要とされない。不要なものでいられる。

とても楽だ。心地がいい。自分が自由でいられる。

 

 しかしそれは「こどもブロイラー」に関わる人々の奴隷となることと引き換えだ。

 遠くにいくことなど叶わない形にひっそりと私を再構成し、その後にブロイラーの刃を私にお披露目する。目を覆いたくば隷属のみ。ほんのひと時、ブロイラーの恐怖から目を覆うことを許されるだけ。

緩やかでやさしいブロイラーは、私を骨の髄まで乱雑に啜り、廃棄する。

それが私の選びとった自由。

 

 自由である事は、誰にも理解をされない事であり、関心を示されない事。関心を持ち、理解し、共存を許されるのは隷属することを了承したモノのみである。どのみち奴隷だ。足枷だ。

 他者からの興味も関心も理解も共感も、その多くが苦しい。期待を裏切るな、台本を間違えるな、バミテに沿って立て。つまらない、何もできない、いらない、出て行ってくれ。

そういう声がいつも聞こえてくるようだ。

 

 わたし自身が、自身の「自由であること」を定義し・宣言しなければならない。

しかしその術はなく、術を得る方法もわからぬ、どこにもいけやしない貧相なわたしが選べる自由は、ゴミ箱へと続く道への隷属のみである。近場のコンビニに行くことも億劫なんだもの。

 

自由が苦手な、不思議なニンゲーン!

 

(最近、やりたい事・関心のある事リストを作ったのですが、諸々のリソース不足を理由に目の触れぬところへそっと仕舞い込みました。ホロリ。)

*1:幾原邦彦が監督するTVアニメ『輪るピングドラム』に登場する児童施設。類似施設の存在は一旦言及しない事とする。反論ボコお願いします。
詳細:こどもブロイラーとは (コドモブロイラーとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

四半世紀ぶんの、

 上京する前、新卒で入社した会社を辞めてから半年ほどぷらぷら*1していました。

 

 その日々は、決して楽しいだけではなく、うまくいかない・できない事だらけで、くたびれていて。嫌気がさすこともあって。
でも、それでも、その中でその中で多くの心に留めておきたい言動をたくさん得、この先どうしようかな、どう生きて行こうかな、とボンヤリ考えてはいました。
 
 しかし、自分に甘い私は、前職の辛さから逃げるため、就職した際購入したコンパクトカーを乗り回し、毎日のようにカフェでケーキと紅茶を楽しみ、欲しいと思えば服も本も買う。
顕著な派手さがあったり、デカダンな生活ではないもの、後先考えず好き勝手振舞っていました。ボカスカ削れる預金残高、なあんにも蓄積されない脳みそ。
 あの頃、もっといろんなことができたな、と今となってはどうにもならない後悔を感じています。
 
 というのも、私はそのぷらぷら生活を経て(一度も地元を離れ一人で暮らしたことがなかったし、美術館が多い、という程度の理由で)なんとなーく、東京に居を構えてみよう、と決めてしまいました。なんとなーく。東京で暮らしたところで、私が何者かになれるわけないことを知りながら。
 地元に留まれば、私のやりたい・興味のある事柄に携わる仕事*2のお誘いもあり、それに従事していたのでしょう。本当に申し訳ないです、折角ご好意で誘っていただいたのに。)ですが、それらに当然かの如く華麗なブッチをキメました。
 
 多分私は、その頃、なんとなく息苦しさを感じていて、ただ、外の世界を見てみたかった。んだと思います。何処かに行ってみたかった。
 
 お世話になった方々には、誤魔化すように「25歳くらいまでは取り敢えず好きにして、その中でのいろんな体験から、私のやりたいことや自分にとって必要なものを探して、30歳くらいに何かしらに辿りつけたらなと思います」のようなボンヤリした事を言い、東京に立ちました。
 
 けれど今は、もう仕事のことを考えるだけで胸が詰まり、涙を流し、無意味に二酸化炭素と糞尿を垂れ流すことがわたしの人生となってしまっていて。日々に恐怖を抱え、ズルズルと時間を浪費している。
 そりゃ当然っちゃ当然。何のアタリもつけづ、垂れ流しの日々。コロナで観たい展示全然行けないし。何かビョーキらしいし。
 
 四半世紀、適当にほどほどに努力せず生きた私をもっと反省すべき、これからはもっと能動的であるべき、と思っても全てボロボロ。どうしたら、頑張れたんだろう。どうすれば、頑張れるんだろう。
「頑張る」がわからない。知らない。
 
 “25歳”にもなると、遠くに離れたどこかの同級生達は自分の人生のコマを(多少の妥協はしているのだろうが)進めている。と思う。少なくとも、私にはそう見える。一方の私自身のコマは全く進んでいない。人生ゲーム序盤で借金地獄、そんな感じ。
 
 私の気持ちや理想だけ並べるのなら、もっと多くを学びたい、もっと様々な物事・人々にに関わってみたい。そこから見出したもので、見出したものに対して思考し、何かしらの形(例えば、このブログの文章であったり、勝手に論文のような物を書く、など)としてどこかに蓄積したい。そして、それら全ての行為から得たことを用い、自分の納得のいく生活を、自分の手で作り支えたい。
 
 …などといった、ヘリウムのつまった風船のような理想はある。何ら具体性などない。だから何をしていいのかさっぱりわからないし、そういう事しか思い浮かべられない自分の存在に息が詰まる。今までの私・今の私・これからの私、それらのつまらないものから脱却する為に「(何かしら、なるべく多くの)体験」が必要であるだろう。必要で、必要なのだろう。
 
 本を読みたい、色々読みたい。学んだことと生活を結びつけ、日々に小さい微笑みや、尊さや、悩ましさを抱え、小さくてもいいのでどこかへ至れるよう歩みたい。何者かになるためではなく、自分が生きていること・生きてきたことに納得したい。周囲の評価ではなく、自分のこれからに自分で期待を持ちたい。
 
 
もう、とても疲れた。心臓が痛くて、世界中が敵に見える。
叶うのなら、何も考えず何も選ばず、苦しみも喜びもなく、ぼおっとした暗闇に消えたい。
 

*1:平日の朝8時から13時までコールセンターでバイト、午後は自分の大学時代にお世話になった方のご好意で、大学で専攻していた事に関連するお仕事のお手伝いっぽいこと(をしつつ周囲のひとびとの人生観察・生き方相談)を。遅い日はそれ関連の資料作成を24時頃まで。動いてる時間はめちゃ長。

*2:薄給だが実家暮らしなので平気

酸素と海とガソリンと

たくさんの気遣いを浪費してる

生活のため働いて、僕は街を平らげる



ここでいう、浪費している気遣いは自分から他者へ向けたものか、他者から自分へむけられたものか、

毎日、気遣い、もとい、社会への恐怖心を浪費している。

意味のわからないことで切れる人々。理解ができない。主述を意識して会話しろ。


でも結局、私が無能な女だから、どんどんバカにされる。

仕事が怖い。PCを立ち上げることが怖い。もう何もかも嫌で仕方がない。

劣っている、すべてに置いて。生活のため働くのではなく、働くために生存して、仕事ですべてぐちゃぐちゃにされ。死にたい。死にたいって会社に行ったらどうなんだろ。死にたい。死にたい。

在宅で動かないのに、そこそこ間食をするようになった。しかし体重は減り髪の毛はぼろぼろ抜ける。


空いている窓から飛び降りたい。2階からじゃ死ねない。実家には帰りたくない。

恋人もいやだ。もう何もかもいやだ。

もうもうもうもうもう、お願いします殺して

Bボタン不要

 今までずっと無能で生きてきたし、これからもずっとそう。そうだろう、なんて期待を込めてさえ言えない。

 検索フォームに“無能“と打ち込み検索すればうじゃうじゃと湧く無能たちのどうしようもない体験。もしくは蛆のような立て直しのための考え。死体に集る蛆のような無能への励まし。全部消し飛ばしたい。


 現実、残念ながらわたしは死んでいない。存在してしまっている。ストレスか胃がキリキリする。薬を飲んだかどうか思い出せない。

何かに縋るかのように、無価値な記事を書き続けている。

頭が痛い、耳鳴りがする、キーを叩きごまかす。誤魔化せない。しがみつけない。


 性格が、頭が悪いと言われたって私はどうしたらいいのかわからないし、イライラして恋人を殴るくらいしかできない。泣きたくても泣き方がちょっと分からない。老害にすっかりなったものだな、と悲しく思う。

 悲しく思う必要も、変化しようとする必要もない。ただ、人が望んだ時穏やかに死ぬことをこの社会が「オプション」として選択できるようにしてくれればいい。

法というテーブルにその値を追加してくれればいい。それだけのことだ。


 病名なんて医者が薬を出すためにつけてるだけだろ、と思う。診断ってなんだ。

性格と病のちがいってなんですか、殺してください、派手にどうぞ。家族に慰謝料が入ればわたしにも価値が生まれますから。