ゆたぽん
ここ数日(12/11のみ) 、ブログを更新しないで考えついたことを適当な紙に乱雑に書き連ねて貯めていました。記事書いてる日もほぼ毎回、2つか3つ、書きたいことや考えたことや今のことをダラダラ紙に書いてスケジュール帳に挟んで貯めています。
スケジュール帳がないとダメです。しなきゃならないことも・したいことも・感じたことも・考えたことも・知らなきゃならないことも、だいたいそこに書いてあるか挟んであります。
クーポンも領収書も、タバコを買うとか公共料金の振り込み用紙とか、家賃支払日とか荷物再配達の時間とか、とかとか、とか。そんなこと全部が詰まっています。全部決めきってないと、書いてないと、不安だし、上手く出来ません。
そういえば、高校1年くらいの時の現代文のテキストにも、現代文の授業で配られるたくさんのプリント類を関係あるページに挟んでいました。倍くらいの厚みになったそれを枕にして寝て、授業すべて寝ていた分野では満点を取るなどしていました。
授業とか聞く暇あったら寝たほうがいいです。*1
高校生の時、不登校ではないし、保健室登校というとちょっと違うような、そんな時期がありました。頻度を考慮しなければ、3年間殆どそんな感じの時期でした。自力で化学勉強したら点数が倍になった保健室でのテスト、懐かしく感じます。
あ、なんかいろんなこと思い出しちゃった、ヤダヤダ。
高校の保健室には、年齢の少し離れた2人の養護教諭いました。若い方は「男子にのみ甘い、依怙贔屓している」と言われる性格の’素敵’*2なお姉さま。
それと、歳の頃は45くらいと思しき、所謂「おばちゃん・おかぁちゃん」のような方がいました。
後者の方はとても、優しい方でした。
高校時代、縺れにもつれた感情や行動*3に目くじらを立てる先生が多くいらっしゃいました。それは、ある文脈では普通のリアクションだったように思います。大人になったんですね、私。*4
「はみ出さない事」をたいせつにする方の多い中でも、何か助けを、と手を差し伸べてくださる方もいました。今でも、とても鮮明に覚えていることがいくつかあります。ただ、その時の私の感情はひたすらに拒絶でした。思い出す度、頭が上がらないです。
保健室にいた、優しい先生は私がよく授業に行かず保健室のベッドにうずくまっていても、叱ったり、早くいけと促すようなことはせず、
「ゆたぽん、使う?」
と声をかけてくれ、毛布と制服をかける為のハンガーを渡してくださいました。
優しさへのありがたさ・申し訳なさ、自分が情けない、不甲斐ない、などマイナス方面の感情の中、何か前向きな事をしなければと感じていた私は、せめてもと思い、いつまで休ませてください、と時間の区切りを伝えていました。
ある日、その先生から、いつも通り私が保健室に逃げ込んだ際、「あなたは、休む時間を区切って、そこをちゃんと休めばまた(教室に)戻れるから、休む時はしっかり休みなさい。」と褒めてくれるような口ぶりで伝えられたことがあります。
どんなきっかけでそう言われたかなどは、さっぱり覚えていません。
その時の私は素っ気無い返事をしたのか・感謝を言葉にしたかも覚えていません。
ですが、この事象が発生したという事はとてもよく覚えています。そして今を支えてくれています。
当然、休むばかりじゃ全然よくないことも沢山あると思いますし、自分が困る羽目になることもたくさんあります。実際困ったし。
しかし、私の「自分で決めた事を容認してくれる他者」の存在となってくれた事、そして何より「休んでいい」という教育をしてくださった事、本当に感謝をしております。本当に本当にありがたいです。
早く、有給年500日支給の世界に至りたいです。月収30万*5くらいで。
世界を革命する力を!
【※お詫び※】
2019/12/02投稿記事に於いて、
「風俗しかないのかな、とおもいます。わたし学歴カスだしさ。ブスだけどセックスはちょっとうまいよ。」という一文を記載いたしました。
私にはもう、切り売りできんのは身体しかねぇ状況だ…というような意図の文章ですが、こちらを客観的な目線で読んだ際「え、めっちゃセックスワーカーの方々をバカにした様な言い方じゃん!」と感じ、その事だけは記載しようと考えました。
文末で、かつ自分の記録としてのブログであるという観点から記事削除をしない、という散々な形ですが、お詫びの一文を添えさせて頂きます。
本当に申し訳ありません。