蜥蜴のしっぽはどこへ行った
「遠くへいけるのは、天才だけだ。」とある男は言った。
当然、私は天才ではない。凡人でもない。それ以下だ。
なので、「代替え可能人間」であることをウリにして私はおまんまを食っている。
この世界に、少なくとも日本には「こどもブロイラー*1」の様にわかりやすい名を持った"親切な"施設はない。
この世界を覆う、大きな力の構成成分には、愛情の入り込む隙間は用意されない。
この事は、多くのご家庭のハンバーグがナツメグがなくとも美味しく作られている事実と大差ない。
代替可能になれる事は「家族ごっごの枠」として存在する私にとってイイコトだ。
偶然に過ぎない、人間関係に妙なまでに縛られない。監視されない。期待もノルマもない。
必要とされない。不要なものでいられる。
とても楽だ。心地がいい。自分が自由でいられる。
しかしそれは「こどもブロイラー」に関わる人々の奴隷となることと引き換えだ。
遠くにいくことなど叶わない形にひっそりと私を再構成し、その後にブロイラーの刃を私にお披露目する。目を覆いたくば隷属のみ。ほんのひと時、ブロイラーの恐怖から目を覆うことを許されるだけ。
緩やかでやさしいブロイラーは、私を骨の髄まで乱雑に啜り、廃棄する。
それが私の選びとった自由。
自由である事は、誰にも理解をされない事であり、関心を示されない事。関心を持ち、理解し、共存を許されるのは隷属することを了承したモノのみである。どのみち奴隷だ。足枷だ。
他者からの興味も関心も理解も共感も、その多くが苦しい。期待を裏切るな、台本を間違えるな、バミテに沿って立て。つまらない、何もできない、いらない、出て行ってくれ。
そういう声がいつも聞こえてくるようだ。
わたし自身が、自身の「自由であること」を定義し・宣言しなければならない。
しかしその術はなく、術を得る方法もわからぬ、どこにもいけやしない貧相なわたしが選べる自由は、ゴミ箱へと続く道への隷属のみである。近場のコンビニに行くことも億劫なんだもの。
自由が苦手な、不思議なニンゲーン!
(最近、やりたい事・関心のある事リストを作ったのですが、諸々のリソース不足を理由に目の触れぬところへそっと仕舞い込みました。ホロリ。)
*1:幾原邦彦が監督するTVアニメ『輪るピングドラム』に登場する児童施設。類似施設の存在は一旦言及しない事とする。反論ボコお願いします。
詳細:こどもブロイラーとは (コドモブロイラーとは) [単語記事] - ニコニコ大百科